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12.22023
覚えていますか?『公共の福祉』
先日、ある性自認に関するある議論を聴いて「なるほど」と思ったやりとりがありました。
本人が自認する性と、戸籍上の性別が違う場合、例えば公衆浴場などの取り扱いをどうするかという、昨今よく見聞きする話題。
その方は「『公共の福祉』の原則で対処すべき」との意見でした。
自身の権利、として訴求することは理解する。
けれども、一方で『公共の福祉』の観点から、その権利は制限される。
久しぶりに腑に落ちた、整合性のとれた意見でした。
子ども時代の実家
私が小学校に入学する前、住んでいた家は三宮神社近くの平屋の一軒家でした。
大工だった曾祖父が建てた家で、祖父母と両親、私と妹で住んでいました。
お隣に住む、一歳上の女の子の家は二階建てで、よく馬鹿にされて悔しかったことを覚えています。
小さいながら南向きに庭があって、物干しざおと祖父の盆栽の並んだ棚、背後の山との間に田んぼがあった記憶。
田んぼの右側、鯉のぼりのある家が、昔の家です。
それが幼稚園の年長に差し掛かったとき、母から
「新しい家に移るよ」と告げられました。
幼稚園でも引っ越しする友達が多かったので、人生に引っ越しというイベントは付き物なんだと誤解していた幼少時代(笑)
新しい家は、念願の二階建て。
トイレは水洗で、なんと二階にもあります。
電話機も二階に備わり、なんとインターホンとも繋がっているという当時の最新鋭(笑)
隣の女の子に、満面の笑顔で「バイバイ」と言って別れを告げた記憶が蘇ります(^-^;
引っ越しの原因
父の転勤の都合により、小学校への入学は松江市の小学校になったので、新居で過ごし始めたのは6年生(昭和63年度)になってから。
そこで聞かされたのは、新居建設の経緯について。
平成元年に、浜田市の東西を結ぶ『浜田バイパス』が完成したことを覚えている人は、およそ40代の方ばかりでしょう。
昔住んでいた相生町の平屋は、ちょうどこのバイパスのルート上に位置していたのです。
そこで用地補償の対象となり、祖父の退職金と合わさって、なかなか立派な家が建てられたのだと。
ふむふむ…と聞きつつ、子ども心ながらに思ったことがありました。
「立ち退くのがイヤだと言ったら、どうなったんだろう?」と
社会科の授業で『憲法』
その答えを、間もなく学校で習う時宜を得ました。社会科です(今はもう社会科って言わないんですよね)。
ちょうど憲法について学ぶ単元で、12条についても触れられました。
先生が解説されるには
「国民は権利が大事にされる。けれども、その権利は自由奔放に使って許されるものでもない。」と。
権利の代表格「財産の所有権」を例に持ち出し、
「財産を所有する権利は、根本的に大事な権利だ。しかし、公共の利益とバランスを取った際に、制限される場合があるんだ」と続きました。
その代表例に、公共事業による立ち退きを説明されたのです。
ああ!と納得した授業内容でした。
昨今のカスハラ問題
報道で聞こえてくるカスタマーハラスメントの数々。
そもそも正当な権利がなく、店側に義務もない状態で行われる「強要」。すでに刑法上の犯罪ですね。
行政への横暴も珍しくありません。
小さな我が町でも十分に疑わしい事例が散見されます。
「お客」や「住民」を迎え入れる側として、対応に苦慮するのは日本全国同じこと。
ですが、権利意識の高い種族は自己の所有する「権利」を探し出し、かさに着て掛かってきます。
もう一度、一人一人が思い出す必要がありそうです。
憲法12条のこと
権利は、公共の福祉の観点から制限される場合があることを。