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島根県校友会

プロフィールにも記載していますが、私は大学4年間を京都の北西にある立命館大学で過ごしました。

忘れもしない、1995年4月1日。

京都衣笠のキャンパスで行われた入学式の直後。

敷地内で迷子になっていたところに、腕を掴まれて入部させられたのが能楽部(笑)。

先輩たちが「優し気に見えた」ものだから、錯覚で入り浸ってしまったのですね。

後であれは作戦だったと、激しく後悔しました…

一人暮らしがスタートし、心細いやら淋しいやらの「心のスキマ」を見事に埋められていました。

入るところ間違えていたら、悲惨な人生を送るところでしたね…

21歳頃…

 

「どうして能なんて始めたの?」という質問によく出くわします。

ここ浜田市で盛んな「石見神楽」に、どこか同じ匂いを嗅いだ、ということも背景の一つにありました。

小さいころ、子ども神楽の社中に加入してイキイキしてる友達を見て「いいなぁ🌟」と羨んでいました。

でも、「親のいないところで夜遅い練習だと心細い」「教えてるおっちゃん達が怖い」というチキンな理由で遠巻きに見ていたことを思い出します。

大人になった私にとって、鬼にも天女にも神様にもなれる能は、そのスキマも埋めたのでした。

島根県校友会への参加

4年間を能漬けで過ごさせてくれた立命館大学には、本当に感謝しています。

株式会社立命館などと揶揄しながらも、きちんと母校愛はあります。

でも、存在は知っていた「地元OB会=県校友会」に参加する気には、ならなかったんですよね。

時代時代でキャンパスが変遷を繰り返した大学なので、出向いても話が合いそうな気がしない。

写真で様子を見ても、ハイシニアなOBしか出席していない。

どうみても完全アウェーなのが見て取れ、気後れしていました。

ですが、私も現金なもので人脈が欲しい今日この頃。

OBでないと出向けない集まりなら、それはまさに「特権」。

ぜひお邪魔させていただきたいと手のひら返し。

懇親会にも出向く気マンマンで、ひさびさにJRで松江まで出向いてまいりました。

冒頭の写真は、当日の浜田駅からの眺めです。

 

アットホームな会場

松江城を仰ぐ会場「サンラポーむらくも」に少し早めに到着して受付を済ませると、円卓制になっており、自席の割り当てが。

ちゃんと若造席の一団が作ってあって、これは本当に助かりました。

とは言えお歴々より先に着座も気ぜわしいので、会場後方に立って開会を待つほかなく。

すると、20代もしかしたら30代と思しき男性がやってきました。

聞けば去年から参加している、出雲市役所の主事さんとのこと。

こんなに若い人も居るんだと感心。市役所トークで盛り上がる(笑)

すると、今度は同じ浜田から合銀の同年代の職員さんが。

女性もお二人いらっしゃりとても華やか。

そんなこんなで、非常に若い(?)メンバーだけの円卓になり、とても和やかな時間を過ごせました。

 

事務局のみなさまに感謝

参加申し込みをさせていただいたときから、とても親切に応答くださった事務局W様には頭があがりません。

どうしても松江出雲中心になりがちな校友会だから、浜田からの参加はうれしいと、TSKの岡本会長にまでお声をかけていただきました。

さすがTVアナウンサーの岡本会長は、宴会の仕切りも大変上手で、新人の我々も壇上で挨拶させていただけたのが、とてもありがたかったです。

おかげでいろんな方に覚えていただけました。

中でも学年一個違いの寺田栄里子先輩とは、在学中の施設の記憶が全部一緒で、大笑いしながらのひととき。

私も(師匠も)大好きな日本酒「旭日酒造(有) 」の施設で、今度イベントしましょうと約束して散会しました。

 

サラリーマン時代って、人脈はオートマチックに作られていくものだと思います。

でも、起業すると自分でオールを漕がないとたどり着けないのだな、と実感、痛感。

毎度毎度、このような大正解ではないと思いますが、やはりエサを与えられるヒナではなく、きちんと羽ばたいて気流をつかむことが大事だと思った一日でした。

乱文ご容赦ください。

 

中谷 拝

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